セックスがますますわからない。嬉しいし、楽しいし、気持ち良いはずなのに、自分は何であんなに冷静でいられるのか。目の前の女性を好きであれば、その女性が喜んでいれば、それだけで嬉しい。ただ自分が射精をしなくてはいけない意味がわからない。実際射精してしまうけど。僕には前戯だけ、ってのが良い気がする。ペッティングとか言うやつ。それだけで良い、と言うよりはそれだけが良い。それがずっと続けば。それから、あの冷静さは何なのか。頭の中でぽこぽこ考え事が始まる。特に性行為って何かって考え始める。どうやったら我を忘れる程セックスに夢中になれるんだい。
2009/01/28
奔放に生きて
とかくに人の世は住みにくい。本当に、住みにくい。きっと誰にとっても。
ある女友達の話。
その子は、いつも恋をしていたいと思ってる。いつも愛されたいと思ってる。男が大好き。セックスが大好き。抱かれることで幸せだと感じる。
その子は、恋人がいながら他の男に抱かれることがある。それは自分で選んだことだし、それで幸せだと思ってる。
僕はその子のそういう奔放さを尊重してた。ある種憧れてもいた。何にも縛られないその気持ちに。
でも、その子だって、複数の男に抱かれて喜びながら、やっぱり罪悪感も持っている。そんなことをする自分を変えたいと思う時がある。自分のやりたいことを抑える必要があると思う時がある。周りからの視線も気になる。売女だとか阿婆擦れ女だとか、そう思われてるんじゃないかと心配になる時がある。
皆がやりたいことやれればいいのに、っていうのはただの理想論なのか。一生恋して、一生セックスしていたい人は、そうしていて欲しいんだけど。
奔放に生きることだって、やっぱりそれなりに苦労がいる。頑張らないといけない。頑張って欲しい。
2009/01/25
2009/01/22
父親、母親
この頃、親父とよく議論する。まあ、人と話すのはなかなか楽しいことで、悪くはない。今日もご飯を食べながらずーっと喋る。ただ、親父と話しながら、最近いつも思うことがある。それは、親父の言ってることって、けっこう浅はかだなあ、と。というか、親父の知識がたいしたことなくて虚しくなる。彼の生活をいつも見てるからわかるというのもあるんだけど、所詮、新聞、テレビ、たまに読んだ本からの知識があるぐらいで、本当にたいしたことない。えっ、そんなこと僕も知ってるけど...というかさっき新聞で読んだけど...、なんて思っちゃったりね。別に知識が全くないとは言わない。自分よりよく知ってる分野だってあるはず。でも、結局その知識の出所がたかが知れてるなあなんて感じてしまう。それにやっぱり、仕事の関係でも今まで狭い世界で生きてきて、社会のことを知らない。体験としての知識を持っていない。日本社会すら知らないんだから、世界全体のことなんて何にも知らない。「日本という国は...」なんて言うけど、外国のことを知らないでそんなこと言える訳ないでしょ、なんて思う。少し海外に言ってみれば見えてくることですら、全然見えていない。別に僕が海外に行ってることなんかがすごいとか偉いなんて全く言うつもりはないけど。親父の金を使ってることだってあったんだし。でもとにかく親父は、知識を得るところは限られてるし、物事を多角的に見ることもできていないように映る。ひねくれものなところはあるみたいだから、物事の裏側を見ようとすることはあっても、それで終わり。別に表と裏だけじゃなくて、もっと色々な角度があるのにね。自分の持っているものだけを信じて、自信を持って語っちゃって...。親父、それはただの偏った知識だよ、本を読めば誰でも知ることのできるものだよ、人よりちょっと物を知っていたとしても、それは偉いことでもなんでもないんだよ、なんてつい思っちゃう。はっきり言ってね、寂しいというか、悲しいというか、そんな気分でもある。ああ、自分の父親ってのはこんなに馬鹿だったのか、と。失礼なのは承知で。自分も同じく馬鹿なのも承知で。
で...それとは別に、今日母親を見ていて思ったこと。まあ、いつものことではあるけど、料理をつくって、その他の家事をやって。僕がたまたまモロッコで買ったジェラバっていう服の仕立てを頼んだらすぐやってくれて。母親はもともと和裁の学校に行ってたらしくて、縫い物は好きだし得意だなんて言ってたんだけど、そんなふうに母親が何かに夢中になってるところもあんまり見たことなかったからね。ああ、いいなあ、と。料理をつくってる母親なんかを見てても、生きて行く上で、こういうことできるのはいいなあ、なんて。母親は自分でもいつも、学がある訳でもないし、私の仕事は誰でもできる仕事、なんて言ってるけどね。料理でも裁縫でも、実際に何かやれることがあるということ。これは全て、経験によって得たものなんだよね。今まで培ってきたもの。ずっとやってきたこと。こういうものって、本やなんかで得た知識より、よっぽど奥が深いし、素晴らしいなあ、なんて。知識ばかりを振りかざして、身の回りのこともできない親父との対比もあってね。母親って、なかなかやるじゃないか、と。
まあ、たまたまタイミングもあって今日こうやって思ったのかもしれないけどね。何かブログに家族のことなんて書くつもりはなかったけど、自分の心境の一部として。この歳にして、親父は尊敬できないな、と思ったし、母親は尊敬できる人かもしれない、と。こんなこと思うとはなあ。
2009/01/21
勉強!勉強!
最近だらだらしつつも、勉強に対する意欲はあって。別に勉強って、大学院に入ってからするような、文献に向かってするお勉強だけじゃなくてね。大江錦太郎のような、「人生常にお勉強!」という意味での勉強。旅に出た影響もあるんだろうけど、自分なんてまだまだ成長過程だなあと改めて思った。やっぱり30歳、40歳までは自分なんてものは固まらないのかもね。まあ、それを成長と呼べるかはわからないけど、何にしろまだ変化はしうる、と。それに別に歳だって関係なくて、意思のあるうちは、何かを吸収できるのかも。そんな意欲のあるうちに、やりたいこと、やれそうなことをやっておこう。こんなのも、やっぱり今しか思えないようなことだろうけど。まずは語学をやろう。
2009/01/19
性、性、性
友人達と夜のファミレスに行ってきたんだけど、ひさしぶりに孤独感のようなものを持ってしまった。別に話を聞いているだけでそれなりに楽しくはあるんだけど、自分は参加できていないなあ、と。結局ね、男友達と楽しく話すには、少なくとも女かセックスの話をうまくできないといけないのかもなあ、なんて。性欲が一番共有出来る話題というかね。僕は別に性の話はできるんだけど、体験談ではないからねえ。
それにしても、彼等の最近行った合コンの話を聞いたら、すげえ。某イシハラくんは酔っぱらった後、「そのおっぱい触らせてよ」と女の子に言い続けてたらしい。「おっぱい、おっぱい。触らせてくれえ。」と三時間ぐらいずっと。おっぱいばかり見つめすぎてあまり顔を覚えていないんだと。でも、その女の子は別の友人が持って帰ってしまったらしい。まあ半分おもしろおかしくしてるんだろうけどさ。どんな状況だよ、それ。まあその合コンに参加してなかった自分は若干浮いていた訳だけど、ぽかーんとしてたら最終的に喝を入れられた。お前もそれぐらいやってみろ、と。はあ、そうねえ。そんなにおっぱい好きではないんだけど。
ただ、家に帰ってネットをやってたら、The Smithsのモリッシーがかなりおもしろい性趣向を持っているということを知った。はっきりはしていないんだけど、ヘテロかゲイか、はたまたバイか、どうも揺れ動いている感じらしい。更にインタビューなんかでは、どうもアセクシャル気味というか、人生において性生活が重要性を持っていない、別に性に突き動かされて生きられるならそれでも良いと思っているんだけど、というようなことを言っている。おお、やっぱりそういう人もいるよね、と。自分もなんとなくわかるかもなあなんて。今だけかもしれないけど。前からモリッシーの音楽、歌詞は大好きだったんだけど、そういう人が共感できる部分を持っていると、なんかうれしくてね。こんなふうでもいいでしょ、と思える。そんな単純な話でもないけど。
我が性よ、どこへ向かうんだ。
2009/01/18
時間、時間、時間
時間は全ての人に同じ様に流れている訳ではないと思うよ、って歌う人がいるけどね、実際全ての人どころか、自分にとってすら、その時、その状況によって時間は同じ様に流れてないよ。今、僕は僕の中での時間の流れ方に満足している。単純に、時間がある。何にも制限されていない。ただこれは絶対にずっとは続かなくて、期間限定だということもわかってる。いざ大学院が始まって、普段の生活に追われる様になったら、時間はこんなふうに流れてはくれない。というか、自分がこんなふうに時間を流れさせない。ゆったりすること、それに満足することって何なんだろう。僕は普段何にあせっているんだろう。今はあせっていない。特に何もしていないのに。旅で何かしてきたという意識があるのかな。いつからまたあせり始めるのかな。それはそれで、そういう時の自分は嫌いじゃないんだけど、そういう生活はきつい。毎日、毎時、毎分、時間が足りなくて苦しい。そういうプレッシャーがないとできないこともたくさんあるんだけど。どっちがいいのかなあ。バランスかな。
2009/01/16
忘れちゃう気持ち
旅から帰ってきてから、やけにハイテンションが続いている。確かにかなり楽しかったからね。この旅で色々重要なものを得た、と感じているからね。それなりに新たな悩みも生まれたはずなんだけど、それでもこころには余裕がある。以前に比べたらすこぶる調子が良い。
まあ自分としては、こんなの長続きしないであろうことは意識しているつもりで、たぶんまたへこんじまうだろうなあという気はしている。きっとそのうちね、どーんと下がるんだろう、と。決して下がって欲しくはないけど。それで、その将来の「どーん」が不安だからこそ、今楽しめるだけ楽しんでおこうという気がなくもない。今のうちに、今のうちに、とね。
ただしかし、こうやって漠然とまたへこむだろうということは意識しているつもりでも、以前鬱病だった時の自分の気持ちはほとんど忘れてしまっている訳だ。自分で気付いたというよりは、他人に言われてはと思い出したんだけど。まあ、忘れているからこそ今元気でいられるのかもしれない。あれを引きずってたらある種まだ立ち直れてないってことかもしれないもんね。でも、当時は例え元気になった後でも、絶対この体験、この気持ちは忘れないようにしよう、なんて言ってたはずなのに、それが今やすっかり薄れてきちゃってるのは非常に寂しい。日記を読み返すと全然今の気持ちと違うもんね。あの気持ち、どこに行っちまったのか。よく考えたら恋愛についても同じで、初めはただの感謝だったのに、いつの間にか調子に乗ってごちゃごちゃなった訳だ。こころの変化を否定する訳じゃないけど、その変化の中でも、忘れないでいたいことはあるよなあ。
それで更に、他人と接する時にも、自分のこうした気持ちの変化も照らし合わせて、その人のその時の精神状態ってのを意識できたらいいなあ、と。まあこれもほぼ受け売りみたいなもんだけど。例えば僕は、旅行中に自分が得た楽しい経験を人に楽しく伝えて、それに興味を持って欲しい、できれば同じようにやってみて欲しい、なんて思ったんだけど、それはただの押しつけでしかなかったのかもしれないし。少なくとも鬱病当時の自分が今の自分の話を楽しく聞けてたかって考えたらどうかわからん。あの時、とにかくやる気がなかったし、ほとんど何にも興味持てなかったからなあ。いや、まあ伝え方にもよると思うんだけど。
そう考えると、旅中に思った、自分が好奇心を持って、それを満たすことで喜びを得たから、できれば他人にも同じようにしてやりたい、なんてのも、決して簡単なことではないかもしれない。他人の好奇心を刺激して、それを満たしてあげる、って....相手の状態にもよってくるんだし、その方法をしっかり考えないといけないなあ、と。教師がうまく生徒をのせるにはどうするか、っていうようなことだよね。何か話がずれたけど。
こころはこれからも変化する。確実に。その時々の気持ちを全く忘れちゃうってのはないようにしたいなあ。無理かなあ。忘れようと思ってもなかなか忘れられないことがあるのに、大切だと思ってることを忘れちゃうなんて。このことすら忘れちゃうのかなあ。定期的に日記を読み返すか。あんまりまとまらんので終わり。
2009/01/13
アイムアットラストインザクラブ
僕はノーミュージックノーライフっていう程音楽が好きじゃない。その理由の一つを挙げると... 歌を聴く時、僕にとってはその「詞」、「うたわれることば」がものすごく大切なんだが、いかんせん世の歌ってのはラヴソングが多過ぎる!本当に、現代のミュージックシーンはラヴソングで溢れている!で、そのラヴソングってのは往々にしてくだらん。これさえ歌っておけば共感を得られるもんだ、みたいな安易な歌詞が多い気がする。いや、と言うより、それで共感できる人はいいんだろうが、僕にはそれができん。愛だの恋だのを歌いあげる気分がさっぱりわからん。仕舞いには仲間外れのような気持ちにすらなる。だからこれまで、どうにも多くの歌が好きになれなかった訳だ。
......ただね、実を言うと、最近どうもそういった愛の歌の歌詞が気になる。まあ、今日ポールマッカートニーの歌を聴いていて思ったんだけど。どうにも、何かがフラッシュバックしたり、自分の中の何かと重なる瞬間がある。この前観た男女関係を描いた韓国映画も、すっげえくだんねえ(と過去の自分なら思っていた)はずなのにちょっとおもしろかったんだよね。わかる気がする、と。恥ずかしいんだが。言ってみれば、ああ、自分も人並みに恋愛しちゃったのね、こっちの世界にやってきたのね、やっと皆さんとわかり合える気がする、とまあそんな気分になっている訳だ。
で、今ふと思うのは、愛を知らない僕の友人達にもそれを味わってほしいなあ、とね。上目線のようで申し訳ないが。別にそれが可哀想とも何とも思わんし、むしろ未だに彼等に共感するところもあるけど、そういう男子、女子にこそメロメロな恋をしてみて欲しいなあと。そしたらウェルカムトゥザクラブ!と僕が言ってやるので。
2009/01/10
結婚とは
最近周りでやたらと結婚話が持ち上がってて、今更ながら結婚って何かおもしろいもんだなあと思った。皆、けっこう学生時代から色々な人とお付き合いしたり別れたりを繰り返してると思うんだけど....その時どれだけお互い好き合っていたとしても、婚姻関係で結ばれようという選択肢は出てこない訳だ。確かにそれは現実的じゃない。でも、いざ定職が決まって経済的に独立して20代も半ばになって...っていう条件が揃うと、途端にその時側にいた人と結婚しようか、ってことになる。その人と一緒に家庭を築いていく、ってことになる。そして社会的にもそれが認められる。高校生がイチャイチャしてたら眉を顰めるような人達も、20代半ばぐらい以上の新婚カップルは祝福する。何かそう思うと、結婚ってやけに人生におけるタイミングに支配されたものだなあと。それに、社会的に経ていくべきとされる段階というかね。その共同体の中で、結婚するに丁度良いとされるタイミングで好きだった人が自分の配偶者になるってことだ。別にタイミングさえ合えば誰でも良いっていう訳でもないんだろうけどさ、でも、ついそんな感じがしないでもない。このタイミングで好きになる人とは、結婚を考えるべきだ、という意識が働くんだろうね、きっと。ただ逆に言うと、いわゆる大人になってからはただ好き合うだけの恋愛ってのは難しい訳だ。結婚を前提に、っていう台詞はそういうことなのね。なるほど。まあ、僕が言ってることなんて皆さんとうの昔にわかりきってたんだろうけどね。周りからの影響やら、自分の意識の変化やらから、ちょっと考えてみたのよ。
2009/01/09
SM
SM、特に言葉のSMの世界って、おもしろいかもなあと。前から『東大物語』でその存在は知ってたけど、特に興味は持ってなかったんだよね。"SM"って言うとなんかすぐにセックスの時に使う道具のイメージばかりが浮かんできちゃって、かなり遠い世界という印象がある。それにある意味型にはまりきっちゃっててつまらない感じもする。でも、言葉でだったら初心者でも割と簡単に操れるし、自分で色々なパターンを作り出していけるんじゃないかと。ただ、SMが成立するってのは余程の信頼関係の証だよね。こころの底に相手への信頼がないと、ただただ傷ついてしまう気がする。愛の鞭ってのはどんなんかね。受け取る方もそれで愛を感じなくてはいけないんだよね。愛を感じればつらいことも嬉しいのか。
2009/01/07
2009/01/06
不景気
帰国したら、やれ未曾有の不景気だ何だ、って言ってて、すごく大変なことになってる。街にいても人と話していても大変なんだなあというのはひしひしと感じる。で、ちょっと思ったこと。なんかこんな状況である種不謹慎かもしれないけど、不景気の時って何か連帯感みたいなのが生まれないかい?と。テレビのニュースや新聞は不景気、不景気、って言ってて、皆がその話にどこかしら共感する。あ、私と同じ立場の人がたくさんいる、みたいな。ひょっとしたらそれで安心してるってのもあるのかもしれないけどね。とにかく、今まであまり気にしてなかったのに、やたら経済のことを気にし始めたりとか、なんか他の人と共通のものを持ってるって感じがしてくる。高速道路を走ってて渋滞に突入しそうな時とかに、皆がハザードランプをつけるでしょ。あの時みたいな。ああ、周りは赤の他人と思ってたのに、僕ら共通の場所にいて、共通のコードを持ってたんだね、と。こころがほっこりする。不景気でこころがほっこりするってのもおかしな話だけどね。いや、無職の身としては他の人が自分と同じ立場になるのが嬉しいだけだったりして。だとしたら最悪だな。
語学上達法
語学がおもしろい。旅行が刺激になったのもあるけど、新しい言語を勉強したくてウズウズしてる。アラビア語は以前言語学の授業で触れた程度でそれ程興味はなかったのに、ちょっとかじってみたらおもしろくておもしろくて...。他にもポルトガル語、中国語、ベトナム語、韓国語...ってたくさんたまってるんだよね。まあ、そんなに同時にできる訳ないし、結局諦めることになるんだけど。
で、ちょっと思ったこと。語学が好きって言う人の中でけっこういるのが、「ペラペラ話せるようになりたい」って思ってる人。まあ言いたいことはよくわかる。それが語学を勉強する上での最終目的地だろうし、流暢に話せたら格好いいし、その言語を話す人とコミュニケーションを取る為には必要なことなので。ただ、どうもその言葉を話せるようになるってことばかりを目標にし過ぎてる人がいて、残念に思う。語学は学ぶ過程がものすごく重要だと思うから。
これはあくまで僕にとってだけど、新しい言語を学び始める時って、もう楽しくて楽しくてしょうがない。ええっ、こんな発音できる人達がいるの?これとこれの発音を聞き分けられる人達がいるの?こんな文法項目があるの?こんな種類の形態素があるの?...と、人間の言語の多様性にただただ驚かされる訳だ。逆に、祖語が全然違うのに複数の言語に共通点があって驚かされることもあるけど。チョムスキー流に言えばこれは普遍文法とパラメーターってことかね。まあとにかく、同じ人間なのにこんなに違うもんを使いこなしてるってのが不思議でしょうがない。と同時に、初めは絶対無理、と思ってたのに、数ヶ月後にはちょっとずつ慣れて使えるようになってる自分にもびっくり。だんだん自分の中にその言語の言語体系がつくりあげられてる、ってことだもんね。いや、これもチョムスキー流に言えば普遍文法のパラメーターに刺激を与えてる、ってことか。
えーと、それで何が言いたいかと言うと、こうやって学ぶ過程を言語学的に観察して楽しんでれば、勉強するのもそんなに苦じゃないし、覚える項目一つ一つも印象深くていいんじゃないかなあと。いつか話せるようになることではなく、それを学んでる時の喜びが大切なんじゃないかなあと。で、そうこうしているうちに、当初の目的の話せるようになるってのも実現するんではないかと。まあ、実際中上級者になってくるといつもそんな喜びばかりじゃないし、常に好奇心を持ち続けるってのは難しいだろうけどね。時間がないとか飽きて投げ出しちゃうなんてこともあるし。...これは語学だけじゃなくて勉学何についても言えることか。
あー、なんか読み返してみたらやたらと偉そうだな。まるで自分の勉強法が良いよ、自分は語学得意だよ、なんて言ってるみたいだな。決してそんなことはないんだけど。まあ誰かに向けてっていうよりは、半分以上自分に言い聞かせてることなので。さあ、楽しいと思っているうちにたくさん勉強しようっと。
2009/01/05
生きる力
年が明けてからしばらくだらぁーっと。特に何かしてる訳でもない。いつもなら、わあー、怠けグセが始まった、やるべきことをやらなくちゃ!と思うところだけど、そんなにあせることもない。まあもちろん色々とやり始めるつもりではいるけど、やらなくてはいけないという義務ではない。旅から帰ってきて、やっぱりまだ「生きる力」に溢れてる気がする。今、何もしていなくても、生きていくという気持ちはある。こういう状態、この穏やかさがいつまで続くのか知らないけど。好奇心で溢れてる。漠然としたやる気がある。何かやれる気がする。こういうの、希望っていうのかもね。こういう状態のうちに、何かやろうっと。部屋を片付けるか、まずは。
