2009/12/27

パスワード

ご無沙汰してます。これからもう少し更新していこうと思います。

世の中、IDやらパスワードやらで溢れてます。
それぞれのところで、記号を使えとか使うなとか指定があって。
どれがどれだかごちゃごちゃになって混乱しちゃいます。
更に、いつも使っているやつならいいんですが、
二年も使ってなかったIDなんか覚えてる訳ないんですよ。
どうにかならないかなあ。

2009/11/03

勉強の合間にネットサーフィンをしてたら、古い知り合いのブログを見つけた。
昨日はひさしぶりに前のバイトの友達と酒を飲んだ。
見ていると、皆頑張ってるんだなあと思う。

最近は、勉強で忙しくはあるんだけど、全然身になっていないような気がする。
自分も頑張らないとなあ、とつくづく思う。

今はイントネーションの問題に興味があり。
あまりネタばらしはできないけど、名古屋弁の研究をするかも。
一度名古屋に行ってデータ取ろうかなあ。

2009/10/08

論文

読んだり書いたりしなくちゃ。パソコンの勉強もしなくちゃ。やることたくさん、手は動かない。

2009/09/12

僕だって

性欲ぐらいありますよ。人をおじいちゃんみたいに。ああ、前にEDだって言ったのがいけなかったのか。

2009/09/01

変わりたい!

なんか最近、大学院関係のことばかり。言語学っていう訳でもなくて、大学院関係の人間関係やら何やらかんやら。面倒くさくなってきた。でも、人に支えられてないと生きていけない。自分が一番面倒くさい。今の自分、変えたいなあ。この状態、絶対にモグロフクゾウに狙われると思う。「どーん」とやられたら何か変わるんだろうか。

2009/08/31

今日から俺は!

だらけてだらけてしょうがない。自己嫌悪。
研究者になりたいんだけどな。こんなんじゃ駄目だよな。
今日から変わろう。

グループで行く旅行の企画してるともう面倒くさい。
全員の希望に沿うことなんて無理なんですよ。
自分、こころの狭いやつだなあ。

2009/08/24

採点

春学期はあっという間に過ぎた。本当に忙しくて、あまり色々と考える暇もなかった感じだけど、言語学についてよく学んだし、なんとなくやりたい分野がしぼれてきたし、とにかくそれなりに努力もしたと思う。と、いうことで、自分にしてはまあよく頑張ったと言えるかな...なんて思ってたところなんだが、その反動なのか、その後の調子があまりよくない。特に今週の自分に点数を付けるとしたら、最低点をあげられそう。まあ、体調を崩して何もしてないというのもあるんだが。なんだかなあ。ずっとてきばきてきばき物事をこなしていけたらいいんだけどなあ。そんなこと無理なのかなあ。本当に、怠ける自分が嫌だ。

2009/07/24

学期末

もうすぐ春学期がおしまいです。最後の一踏ん張りです。でも、どうしてもレポートが書けません。助けてほしい。

2009/06/22

発表続き

たまには更新しないと。

やっぱり言語のことを勉強するのはおもしろくて、大学院に来たことはとても良かったと思う。でも、特に一年は必修の授業が多くて、発表続きでまいってしまう。自分の研究のことなんて全然考えられなくて、それがストレス。吸収することが多くてとても良いんだけどね。あと一ヶ月半ぐらいの我慢か。

それにしても、いつまでたっても時間をうまく使えない。何でもかんでも頑張ろうとするのは、悪いことではないと自分に言ってあげたいところだけど、それじゃ体がもたない。今日も寝られないんだろうなあ。この前の発表はかなり良い評価をもらえた。この調子で次も頑張っていこう!

2009/06/11

あぐらをかくな。

頑張って準備して発表をしたら、結構良い評価をもらえた。発表ってのは勉強の機会だから、別に評価されることを求めてやるんじゃないなんて思ってたんだけど、やっぱり、良い評価をもらえるとうれしい。

....でも、それに満足してほわわんとしつつある自分はすごく嫌だ。きっと今の僕は、ちょっと舞い上がってる。言語学で著名な教授にちょっとだけでも認められたってこととか、一緒に勉強してる他の学生に「目標にしたい」なんて言われたってこととか、それだけでうれしくなっちゃって、それを何度も思い出しちゃう。気持ち悪いし、時間の無駄だと思う。

僕は過去にとらわれ過ぎるんだろうか。今までは、悪いことばかり思い出して、繰り返しへこんで、と思ってたんだけど、実は良いこともどんどん思い出してしまう。それ自体は悪くないんだろうけど、今やらなくてはいけないことがたくさんある。そんなちょっとした思い出にひったてる暇はないんだよね。

実はまだ来週引き続き発表で、他にも発表がどんどんあって、ここで満足してとまっちゃったら結局駄目なんだよね。頭を切り替えなくちゃ。評価は自信にしてもいいけど、次の試合にそなえて努力は持続させないとね。

スポーツ選手ってずっとこんな気分なのかなあ、と。でも、バロンドールをとった選手がたいてい駄目になってしまうというのは、人間のモティベーションコントロールの難しさを意味しているのかな、とも。

2009/06/06

喋り過ぎちゃう

人の話を最後まで聞こう。

2009/05/31

虚無の境地とは

そんなの前からわかっていたけど、今の僕の状態は虚無の境地でも何でもない。こころの中には雑念ばかり。ささいなことにこころを乱されて、それにとりつかれて、時間が過ぎていく。本当に虚無の境地に立てたら、無心になって気持ちよいのかな。

2009/05/26

謝意

今週は、まずパーソナルな問題が起こり、大学院の発表がいくつか重なり、更に寝不足で、既にまいり気味。疲れきって頭がぼーっとする。文献を読んでもなかなか頭に入ってこない。

それで、パーソナルな問題というのが、恋人とお別れをしたこと。まあ、恋人としての責任を果たしていなかったに等しいので、恋人と呼んでよいのかすらわからないけど。

実際、自分に恋人だなんて荷が重すぎると知りながら、そこを考えないようにしていただけなので、この結末自体はそれ程驚くことでもない。いつかこうなる、ということはわかってた。ただ、何かを失うってことが気分の良いものでないというのも事実で、やっぱりとても悲しいし、落ち込む。特に、人の期待に答えられなかった、人を悲しませた、っていうことについて、自分はつくづく駄目だなあと、落ち込む。

でも、ある種の慰めとして、「自分は正しいことをした」という意識を持っている。この選択はお互いのためだったと、そう思っている。だから、後悔は全然していない。これで良かった。

きっと人との関係なんて、好きか嫌いかっていう以前に、一緒になれるかなれないかってのが重要であって、自分にその一緒になるという気がないのだから、それはもうしょうがない。全く考えたことないかって言われたら正直返答に困るけど、でも色々なファクターをふまえた結論として、やっぱりない。一緒になるつもりはない。

相手に対する申し訳ない気持ちはあって、これはなかなか消えそうにない。ひょっとするとずっと消えないかもしれない。でも、その申し訳ない気持ちと同時に、強い感謝の気持ちもある。本当に彼女がいてくれてよかったと思う。これもずっと消さずに、持っていけばいいかなと思う。

別れを切り出したきっかけの一つとして、友人に"Be sincere and honest to her since she is meant to be somebody special to you throughout your life."と言われたこと。確かに、一緒にいるかどうかは別として、ずっと大切な存在であることには変わりないと思う。だからこそ、嘘をつかずに正直に別れを伝える。それで、こころの中でずっと大切に思うってのが、せめてもの相手への感謝の気持ちかなと、そんなふうに感じている。

さあ、勉強するか。

2009/05/14

痛い痛い痛いっ!

大学院のある人の研究発表会で皆の前で英語で質問したらしどろもどろになっちゃって、更にかなりちんぷんかんぷんな質問しちゃって、恥ずかしくてしょうがなくてへこむ、へこむ。この恥ずかしい、ってのはやっぱりプライドからくるものなんだろうか。ただの自意識過剰なんだろうか。他の人なんて僕がちんぷんかんぷんなこと聞いてたことすらもう記憶の片隅にないんだろうなとは思っても、どうしても嫌な気分がこころの奥底に。その時のことがフラッシュバックして、一人で奇声を発してしまう。今日の奇声はお決まりのもの以外に「痛い痛い痛いっ!」と。別に体のどこも痛くないのにね。あと「帰りたい、帰りたい!」とか。もう家にいるのに。これ、何なの?治らないのかね?はあ。

2009/05/07

GW終了

5月病は割と治ってきたんだけども、明日からまた忙しい日々が始まると思うとちょっと怖い。もうGWが終わりだなんて。

あと、飲み会で色々はしゃいだ後にそんな自分が恥ずかしくなるってのは、何故だろうかね。いい加減学べよ、と思う。過去から学ばなくては。

ものすごくくだらない話かもしれないけど、落ち着きと優しさを持った大人になりたい。良い大人になりたい。自分はまだまだ子どもだ。

2009/05/03

May disease

もう文字通りの5月病というやつにかかってしまったようで。いや、まだ完全に発症はしていないと信じてるんだけど。4月に色々やり過ぎてちょっと疲れてしまった。特に自分を見せ過ぎてね。相変わらず面倒くさい性格してるなあとつくづく自分に感心する。僕のこころよ、未来へ向け!

2009/04/23

明暗

僕は、明るいヤツなのか。新たな環境に入っていく時、どうしても特別明るく振る舞ってしまう。いや、これも本物の「うやかなっと」なんだろうけど。でも、そんな自分を見せ過ぎた後の夜は疲れる。疲れる。

2009/04/14

ビジービジー

これからどんどんどんどん忙しくなりそう。大学院の前期の時間割が恐ろしいことになっててね。皆に自殺行為だと言われるぐらい。でも、おもしろそうな授業が多くてつい増やしちゃって。教職過程の授業もあって。おわあ、どうするんだろう。大丈夫なのか。「忙しい、忙しい」なんて言ってるのは自分に能力がないからだ、なんて言うけど、そうなんですよ、実際能力がないから時間がかかってたまらん。頑張らなくては、頑張らなくては。頑張るって決めたんだからなあ。実際、できないことはないんだよ。うん、そう思おう。そう思わなくては!皆朝から晩まで働いてるんだもんね。よし!

2009/04/09

今、勉強しようとしていること

最近、大学院が始まって、これからどんどん授業にも出て行く訳なんだけど...今後の勉強、そして研究が本当に楽しみに思う。今自分がいる大学院は、まさに自分がやりたいことを研究できるところなんだなあとひしひしと感じている。日本国内ではこの分野の最先端と呼ばれるようなところにいられて、吸収するものがたくさんある。自分自身はまだまだ最先端になれる訳では決してないけど、周りに追いつこうと思って少しでも成長できればいいなあと思ってる。

正直今までは、自分の勉強したいことと実際勉強していることがあまり重なっていなくて、残念に思うことの方が多かった。周りと比べても、自分が少し違うところにいるんだなあなんていう意識があった。でも、今日教授や周りの学生と話をしていて、感じた。この研究科は全員が言語のことに興味を持っている。細かい分野は違っても、皆それぞれの研究をおもしろいと思える。今まで誰とも話さなかったような言語のコアな話、マニアックな話を、酒を飲みながらだらだら話せる。こんなことってなかったなあ、と。狭い世界なんだけどね。

このまま勉強し続けたら、2年どころか、5年、はたまたそれ以上飽きずに続けちゃうんじゃなかろうか。楽しみ、楽しみ。やっぱり、何年もプラプラしたけど、進学して良かった!勉強頑張ろう!

2009/04/07

新生活開始、ネット開通記念

約一ヶ月半のネット断ちの末、ようやく新居にネットが開通したので、ブログも更新することにした。このまましばらく更新しないと、ずっとほったらかしになりそうなので。

以前の自分の投稿を少し覗いてみると、こんなこと書いてたのか、と驚く。今の自分とは何かが違う。こういう感覚は、古い日記を読み返した時にもよく起こるんだけど、このブログに関してはつい二、三ヶ月前のことなのに何だか不思議なぐらい今の自分と違う。それを書いているのがまるで一年前みたいだ。

それぐらい、自分が今いる状況が変化しているということだと思う。ちょうど二年前の4月から一ヶ月ぐらい前までの約二年間、精神的にはかなり辛い時期もあったけど、それでもバイトしたり運動したり音楽やったり勉強したり恋したり、果てにはプラプラ旅行にも行ったり、とにかく時間には余裕があった。この二年間全てが、ゆったりとした療養生活みたいなものだったのかもしれない。

でも今、その時間の流れ方が変わろうとしている。大学院が始まって今後どんどん忙しくなるであろうことがわかっている。あまり不安がるのもよくないけど、相当気をひきしめないとやっていけない。こういう世界に戻ってきたんだよ。やらなくちゃ、やらなくちゃ、っていう。今度は糸が切れてしまわないように、うまい具合にやっていきたい。

2009/02/17

愛情表現

「好き」というのを表現するのはどういう手段があるのかしら。別にキスやらセックスやらをしなくたって、「好き」というのは表せると思うんだけど。たぶん恋人同士になったら、お互いの求める愛情表現がよくわかっていないと、そしてそれを実践できないと、いけないんだろうなあと。わからん。好きっていうの自体何を持ってして好きだと判断するのかもわからん。自分の好きはものすごくいい加減な気がする。申し訳なくなるし。そんなんならない方がいいのかなあとか。今日の投稿は日記みたいだ。

2009/02/16

優しさとは

内容が二転三転しているけど...。うまく人を支えてあげるのって、とても大切だろうと。いくらずっと責任を持って一緒になれないような人でも、今だけ支えてあげるということはできると思う。絶対に断ち切らないといけない訳でもない。これ以上は支えてあげられないけど、と条件をつけてなら、自分のできる範囲で助けてあげられる。自分だって、今だけなら一緒にいたい。そう思えるのであれば。それで相手がいいなら。いいのかなあ。わからないけど。僕はこれを信じてしばらくやってみる。それに、人を支えてあげる時は、自分の方に余裕がないといけない。今は自分が壊れてしまう時ではない。これでいいと信じて、自分の優しさを出す。余裕がなくなったら、その時はその時だ。

2009/02/14

愛することへの責任

セックスは、良いものだ。前回の投稿とひどく違った内容になってしまったけど。結局、好き合っている人達が、肉体的な繋がりだけではなく、同時に精神面での繋がりによる快感も得た時に、セックスはその威力を発揮するのだと思う。愛の確認作業だなんて言ったりするけど、なかなか良い喩えかもしれない。まず、お互いに相手を悦ばせたいという気持ちがある。そして、相手を最高に悦ばせた時、それによる悦びがあって、その悦びを相手が感じ取って悦んで、またそれを感じて悦んで、という悦びの連鎖作用のようなものが始まる。今までの乏しい経験では全然わからなかったし、むしろ毛嫌いしているところすらあったけど、セックスとはひょっとして、こういう気持ちを楽しむものなのかな、と思うようになった。

ただ、その経験を踏まえても尚言える事が一つ。僕はセックスが苦手だ。すごく怖い。それは、誰かとセックスするということには、とてつもなく大きな責任が伴うような気がするからだと思う。もちろん、子供ができたら、という結果についての責任というのがまず初めにある。自分の行動なんだから、その結果として、子育てを含めた全ての行為にも責任を取らなくてはいけないのではないか、という気持ちが働く。でも実は、その子づくり行為としての結果についてだけではなくて、誰かを好くということ自体に、もう大きな責任が発生しているような気がする。つまり、付き合うだとかそういったことでも、何らかの責任を負わなくてはいけないような気になる。自分は相手を幸せにしたい。いや、少なくとも、不幸にしたくはない。自分が原因で、相手の人生が台無しになって欲しくはない。それと同時に、自分の身勝手によって、いつか相手にお別れを言うだろうこともわかっている。極論として、一生一緒になっていくなんていう自信はない。恥ずかしい話、そんな責任はとても負えない。その責任が取れないのであれば、セックスなんてするべきでもないし、そもそも好きになるべきではないのではないか、なんていう気持ちが働く。

誰かが自分のことを好いてくれたら、それは嬉しい。強く好いてくれたら、とても嬉しい。自分もその人のことを嫌いではない。いや、きっと好きなのだと思う。一緒にいられたら嬉しいことや楽しいことがたくさんある。でも、だからって好きになってしまっていいのだろうか。求められたからと言って、肉体関係を持ってしまっていいのだろうか。求められたと言っても、もちろん承諾した時点で自分の意志でもある訳だ。繰り返しになるけど...格好の良い言い方をすれば、今は良くても今後相手を幸せにする自信がない。もう一つの正直な気持ちは、相手との関係によって自分の行動に制限を受けたくない。例えばこうやって好きになった相手のために、自分のやりたいことを犠牲にできるかと問われたら、うまく首を縦に振れない。その人のために自分が志す勉学の道を諦められるだろうか。一年以上の鬱病を経てやっと見つけた道、病気回復のきっかけともなった道を、今ここで諦めることになったら、自分はどうなってしまうのか。怖い。怖い。怖くてしょうがない。震えが止まらない。

やばい。EDが治ったと思ったら、今度は鬱病再発か?あまり笑えない。誰かに笑って欲しいけど。『神様、助けて欲しい』と言う人の気持ちがわからないでもない。自分を助けられるのは自分だけだけど。自分だけなのに。

2009/01/28

我を忘れて

セックスがますますわからない。嬉しいし、楽しいし、気持ち良いはずなのに、自分は何であんなに冷静でいられるのか。目の前の女性を好きであれば、その女性が喜んでいれば、それだけで嬉しい。ただ自分が射精をしなくてはいけない意味がわからない。実際射精してしまうけど。僕には前戯だけ、ってのが良い気がする。ペッティングとか言うやつ。それだけで良い、と言うよりはそれだけが良い。それがずっと続けば。それから、あの冷静さは何なのか。頭の中でぽこぽこ考え事が始まる。特に性行為って何かって考え始める。どうやったら我を忘れる程セックスに夢中になれるんだい。

奔放に生きて

とかくに人の世は住みにくい。本当に、住みにくい。きっと誰にとっても。

ある女友達の話。

その子は、いつも恋をしていたいと思ってる。いつも愛されたいと思ってる。男が大好き。セックスが大好き。抱かれることで幸せだと感じる。

その子は、恋人がいながら他の男に抱かれることがある。それは自分で選んだことだし、それで幸せだと思ってる。

僕はその子のそういう奔放さを尊重してた。ある種憧れてもいた。何にも縛られないその気持ちに。

でも、その子だって、複数の男に抱かれて喜びながら、やっぱり罪悪感も持っている。そんなことをする自分を変えたいと思う時がある。自分のやりたいことを抑える必要があると思う時がある。周りからの視線も気になる。売女だとか阿婆擦れ女だとか、そう思われてるんじゃないかと心配になる時がある。

皆がやりたいことやれればいいのに、っていうのはただの理想論なのか。一生恋して、一生セックスしていたい人は、そうしていて欲しいんだけど。

奔放に生きることだって、やっぱりそれなりに苦労がいる。頑張らないといけない。頑張って欲しい。

2009/01/25

女の子価格

飲み会に行ってきました。で、お会計の時に、「じゃあ男は4000円、女は3000円でいいよ」みたいなことを誰かが言い、そういう割り勘になりまして。まあ、その差別は何じゃ、っていう話もありますが、それは置いておいて。で、いざ払おうとしたら、僕ぁどうも女の子価格で計算してくれたらしくてね、何と3000円だったんですよ。いやはや、レディーファーストならぬジョブレスファーストみたいなね。社会のぬくもりを感じました。いや、ひょっとして哀れみって言うんですかね。

2009/01/22

父親、母親

この頃、親父とよく議論する。まあ、人と話すのはなかなか楽しいことで、悪くはない。今日もご飯を食べながらずーっと喋る。ただ、親父と話しながら、最近いつも思うことがある。それは、親父の言ってることって、けっこう浅はかだなあ、と。というか、親父の知識がたいしたことなくて虚しくなる。彼の生活をいつも見てるからわかるというのもあるんだけど、所詮、新聞、テレビ、たまに読んだ本からの知識があるぐらいで、本当にたいしたことない。えっ、そんなこと僕も知ってるけど...というかさっき新聞で読んだけど...、なんて思っちゃったりね。別に知識が全くないとは言わない。自分よりよく知ってる分野だってあるはず。でも、結局その知識の出所がたかが知れてるなあなんて感じてしまう。それにやっぱり、仕事の関係でも今まで狭い世界で生きてきて、社会のことを知らない。体験としての知識を持っていない。日本社会すら知らないんだから、世界全体のことなんて何にも知らない。「日本という国は...」なんて言うけど、外国のことを知らないでそんなこと言える訳ないでしょ、なんて思う。少し海外に言ってみれば見えてくることですら、全然見えていない。別に僕が海外に行ってることなんかがすごいとか偉いなんて全く言うつもりはないけど。親父の金を使ってることだってあったんだし。でもとにかく親父は、知識を得るところは限られてるし、物事を多角的に見ることもできていないように映る。ひねくれものなところはあるみたいだから、物事の裏側を見ようとすることはあっても、それで終わり。別に表と裏だけじゃなくて、もっと色々な角度があるのにね。自分の持っているものだけを信じて、自信を持って語っちゃって...。親父、それはただの偏った知識だよ、本を読めば誰でも知ることのできるものだよ、人よりちょっと物を知っていたとしても、それは偉いことでもなんでもないんだよ、なんてつい思っちゃう。はっきり言ってね、寂しいというか、悲しいというか、そんな気分でもある。ああ、自分の父親ってのはこんなに馬鹿だったのか、と。失礼なのは承知で。自分も同じく馬鹿なのも承知で。

で...それとは別に、今日母親を見ていて思ったこと。まあ、いつものことではあるけど、料理をつくって、その他の家事をやって。僕がたまたまモロッコで買ったジェラバっていう服の仕立てを頼んだらすぐやってくれて。母親はもともと和裁の学校に行ってたらしくて、縫い物は好きだし得意だなんて言ってたんだけど、そんなふうに母親が何かに夢中になってるところもあんまり見たことなかったからね。ああ、いいなあ、と。料理をつくってる母親なんかを見てても、生きて行く上で、こういうことできるのはいいなあ、なんて。母親は自分でもいつも、学がある訳でもないし、私の仕事は誰でもできる仕事、なんて言ってるけどね。料理でも裁縫でも、実際に何かやれることがあるということ。これは全て、経験によって得たものなんだよね。今まで培ってきたもの。ずっとやってきたこと。こういうものって、本やなんかで得た知識より、よっぽど奥が深いし、素晴らしいなあ、なんて。知識ばかりを振りかざして、身の回りのこともできない親父との対比もあってね。母親って、なかなかやるじゃないか、と。

まあ、たまたまタイミングもあって今日こうやって思ったのかもしれないけどね。何かブログに家族のことなんて書くつもりはなかったけど、自分の心境の一部として。この歳にして、親父は尊敬できないな、と思ったし、母親は尊敬できる人かもしれない、と。こんなこと思うとはなあ。

2009/01/21

勉強!勉強!

最近だらだらしつつも、勉強に対する意欲はあって。別に勉強って、大学院に入ってからするような、文献に向かってするお勉強だけじゃなくてね。大江錦太郎のような、「人生常にお勉強!」という意味での勉強。旅に出た影響もあるんだろうけど、自分なんてまだまだ成長過程だなあと改めて思った。やっぱり30歳、40歳までは自分なんてものは固まらないのかもね。まあ、それを成長と呼べるかはわからないけど、何にしろまだ変化はしうる、と。それに別に歳だって関係なくて、意思のあるうちは、何かを吸収できるのかも。そんな意欲のあるうちに、やりたいこと、やれそうなことをやっておこう。こんなのも、やっぱり今しか思えないようなことだろうけど。まずは語学をやろう。

2009/01/19

性、性、性

友人達と夜のファミレスに行ってきたんだけど、ひさしぶりに孤独感のようなものを持ってしまった。別に話を聞いているだけでそれなりに楽しくはあるんだけど、自分は参加できていないなあ、と。結局ね、男友達と楽しく話すには、少なくとも女かセックスの話をうまくできないといけないのかもなあ、なんて。性欲が一番共有出来る話題というかね。僕は別に性の話はできるんだけど、体験談ではないからねえ。

それにしても、彼等の最近行った合コンの話を聞いたら、すげえ。某イシハラくんは酔っぱらった後、「そのおっぱい触らせてよ」と女の子に言い続けてたらしい。「おっぱい、おっぱい。触らせてくれえ。」と三時間ぐらいずっと。おっぱいばかり見つめすぎてあまり顔を覚えていないんだと。でも、その女の子は別の友人が持って帰ってしまったらしい。まあ半分おもしろおかしくしてるんだろうけどさ。どんな状況だよ、それ。まあその合コンに参加してなかった自分は若干浮いていた訳だけど、ぽかーんとしてたら最終的に喝を入れられた。お前もそれぐらいやってみろ、と。はあ、そうねえ。そんなにおっぱい好きではないんだけど。

ただ、家に帰ってネットをやってたら、The Smithsのモリッシーがかなりおもしろい性趣向を持っているということを知った。はっきりはしていないんだけど、ヘテロかゲイか、はたまたバイか、どうも揺れ動いている感じらしい。更にインタビューなんかでは、どうもアセクシャル気味というか、人生において性生活が重要性を持っていない、別に性に突き動かされて生きられるならそれでも良いと思っているんだけど、というようなことを言っている。おお、やっぱりそういう人もいるよね、と。自分もなんとなくわかるかもなあなんて。今だけかもしれないけど。前からモリッシーの音楽、歌詞は大好きだったんだけど、そういう人が共感できる部分を持っていると、なんかうれしくてね。こんなふうでもいいでしょ、と思える。そんな単純な話でもないけど。

我が性よ、どこへ向かうんだ。

2009/01/18

時間、時間、時間

時間は全ての人に同じ様に流れている訳ではないと思うよ、って歌う人がいるけどね、実際全ての人どころか、自分にとってすら、その時、その状況によって時間は同じ様に流れてないよ。今、僕は僕の中での時間の流れ方に満足している。単純に、時間がある。何にも制限されていない。ただこれは絶対にずっとは続かなくて、期間限定だということもわかってる。いざ大学院が始まって、普段の生活に追われる様になったら、時間はこんなふうに流れてはくれない。というか、自分がこんなふうに時間を流れさせない。ゆったりすること、それに満足することって何なんだろう。僕は普段何にあせっているんだろう。今はあせっていない。特に何もしていないのに。旅で何かしてきたという意識があるのかな。いつからまたあせり始めるのかな。それはそれで、そういう時の自分は嫌いじゃないんだけど、そういう生活はきつい。毎日、毎時、毎分、時間が足りなくて苦しい。そういうプレッシャーがないとできないこともたくさんあるんだけど。どっちがいいのかなあ。バランスかな。

レミゼラブル

自分のことを惨めだとか哀れだとか思うのって、良くない。そう思った途端に、本当に悲しくなる。それがどんな状況でも。本来なら幸せな状況にいても、自分をかわいそうと思ったら本当にかわいそうになる。そんなふうにある種無駄にかわいそうだと思ってしまう人こそ、惨めで哀れなのかもしれない。もちろん僕自身も、そういう経験があるからこそこう言っている訳だけど。自分を惨めだとも、哀れだとも思わないようになりたい。なって欲しい。

2009/01/16

忘れちゃう気持ち

旅から帰ってきてから、やけにハイテンションが続いている。確かにかなり楽しかったからね。この旅で色々重要なものを得た、と感じているからね。それなりに新たな悩みも生まれたはずなんだけど、それでもこころには余裕がある。以前に比べたらすこぶる調子が良い。

まあ自分としては、こんなの長続きしないであろうことは意識しているつもりで、たぶんまたへこんじまうだろうなあという気はしている。きっとそのうちね、どーんと下がるんだろう、と。決して下がって欲しくはないけど。それで、その将来の「どーん」が不安だからこそ、今楽しめるだけ楽しんでおこうという気がなくもない。今のうちに、今のうちに、とね。

ただしかし、こうやって漠然とまたへこむだろうということは意識しているつもりでも、以前鬱病だった時の自分の気持ちはほとんど忘れてしまっている訳だ。自分で気付いたというよりは、他人に言われてはと思い出したんだけど。まあ、忘れているからこそ今元気でいられるのかもしれない。あれを引きずってたらある種まだ立ち直れてないってことかもしれないもんね。でも、当時は例え元気になった後でも、絶対この体験、この気持ちは忘れないようにしよう、なんて言ってたはずなのに、それが今やすっかり薄れてきちゃってるのは非常に寂しい。日記を読み返すと全然今の気持ちと違うもんね。あの気持ち、どこに行っちまったのか。よく考えたら恋愛についても同じで、初めはただの感謝だったのに、いつの間にか調子に乗ってごちゃごちゃなった訳だ。こころの変化を否定する訳じゃないけど、その変化の中でも、忘れないでいたいことはあるよなあ。

それで更に、他人と接する時にも、自分のこうした気持ちの変化も照らし合わせて、その人のその時の精神状態ってのを意識できたらいいなあ、と。まあこれもほぼ受け売りみたいなもんだけど。例えば僕は、旅行中に自分が得た楽しい経験を人に楽しく伝えて、それに興味を持って欲しい、できれば同じようにやってみて欲しい、なんて思ったんだけど、それはただの押しつけでしかなかったのかもしれないし。少なくとも鬱病当時の自分が今の自分の話を楽しく聞けてたかって考えたらどうかわからん。あの時、とにかくやる気がなかったし、ほとんど何にも興味持てなかったからなあ。いや、まあ伝え方にもよると思うんだけど。

そう考えると、旅中に思った、自分が好奇心を持って、それを満たすことで喜びを得たから、できれば他人にも同じようにしてやりたい、なんてのも、決して簡単なことではないかもしれない。他人の好奇心を刺激して、それを満たしてあげる、って....相手の状態にもよってくるんだし、その方法をしっかり考えないといけないなあ、と。教師がうまく生徒をのせるにはどうするか、っていうようなことだよね。何か話がずれたけど。

こころはこれからも変化する。確実に。その時々の気持ちを全く忘れちゃうってのはないようにしたいなあ。無理かなあ。忘れようと思ってもなかなか忘れられないことがあるのに、大切だと思ってることを忘れちゃうなんて。このことすら忘れちゃうのかなあ。定期的に日記を読み返すか。あんまりまとまらんので終わり。

2009/01/13

アイムアットラストインザクラブ

僕はノーミュージックノーライフっていう程音楽が好きじゃない。その理由の一つを挙げると... 歌を聴く時、僕にとってはその「詞」、「うたわれることば」がものすごく大切なんだが、いかんせん世の歌ってのはラヴソングが多過ぎる!本当に、現代のミュージックシーンはラヴソングで溢れている!で、そのラヴソングってのは往々にしてくだらん。これさえ歌っておけば共感を得られるもんだ、みたいな安易な歌詞が多い気がする。いや、と言うより、それで共感できる人はいいんだろうが、僕にはそれができん。愛だの恋だのを歌いあげる気分がさっぱりわからん。仕舞いには仲間外れのような気持ちにすらなる。だからこれまで、どうにも多くの歌が好きになれなかった訳だ。

......ただね、実を言うと、最近どうもそういった愛の歌の歌詞が気になる。まあ、今日ポールマッカートニーの歌を聴いていて思ったんだけど。どうにも、何かがフラッシュバックしたり、自分の中の何かと重なる瞬間がある。この前観た男女関係を描いた韓国映画も、すっげえくだんねえ(と過去の自分なら思っていた)はずなのにちょっとおもしろかったんだよね。わかる気がする、と。恥ずかしいんだが。言ってみれば、ああ、自分も人並みに恋愛しちゃったのね、こっちの世界にやってきたのね、やっと皆さんとわかり合える気がする、とまあそんな気分になっている訳だ。

で、今ふと思うのは、愛を知らない僕の友人達にもそれを味わってほしいなあ、とね。上目線のようで申し訳ないが。別にそれが可哀想とも何とも思わんし、むしろ未だに彼等に共感するところもあるけど、そういう男子、女子にこそメロメロな恋をしてみて欲しいなあと。そしたらウェルカムトゥザクラブ!と僕が言ってやるので。

2009/01/10

結婚とは

最近周りでやたらと結婚話が持ち上がってて、今更ながら結婚って何かおもしろいもんだなあと思った。皆、けっこう学生時代から色々な人とお付き合いしたり別れたりを繰り返してると思うんだけど....その時どれだけお互い好き合っていたとしても、婚姻関係で結ばれようという選択肢は出てこない訳だ。確かにそれは現実的じゃない。でも、いざ定職が決まって経済的に独立して20代も半ばになって...っていう条件が揃うと、途端にその時側にいた人と結婚しようか、ってことになる。その人と一緒に家庭を築いていく、ってことになる。そして社会的にもそれが認められる。高校生がイチャイチャしてたら眉を顰めるような人達も、20代半ばぐらい以上の新婚カップルは祝福する。何かそう思うと、結婚ってやけに人生におけるタイミングに支配されたものだなあと。それに、社会的に経ていくべきとされる段階というかね。その共同体の中で、結婚するに丁度良いとされるタイミングで好きだった人が自分の配偶者になるってことだ。別にタイミングさえ合えば誰でも良いっていう訳でもないんだろうけどさ、でも、ついそんな感じがしないでもない。このタイミングで好きになる人とは、結婚を考えるべきだ、という意識が働くんだろうね、きっと。ただ逆に言うと、いわゆる大人になってからはただ好き合うだけの恋愛ってのは難しい訳だ。結婚を前提に、っていう台詞はそういうことなのね。なるほど。まあ、僕が言ってることなんて皆さんとうの昔にわかりきってたんだろうけどね。周りからの影響やら、自分の意識の変化やらから、ちょっと考えてみたのよ。

2009/01/09

SM

SM、特に言葉のSMの世界って、おもしろいかもなあと。前から『東大物語』でその存在は知ってたけど、特に興味は持ってなかったんだよね。"SM"って言うとなんかすぐにセックスの時に使う道具のイメージばかりが浮かんできちゃって、かなり遠い世界という印象がある。それにある意味型にはまりきっちゃっててつまらない感じもする。でも、言葉でだったら初心者でも割と簡単に操れるし、自分で色々なパターンを作り出していけるんじゃないかと。ただ、SMが成立するってのは余程の信頼関係の証だよね。こころの底に相手への信頼がないと、ただただ傷ついてしまう気がする。愛の鞭ってのはどんなんかね。受け取る方もそれで愛を感じなくてはいけないんだよね。愛を感じればつらいことも嬉しいのか。

祭りの後

あー、こんな日がいつまでも続くならいいのに、ってつい思う。諸行無常、その事実を受け止めたいんだけどね。やっぱり穏やかな日々に対しては現状維持の気持ちが働く。いや、そんなこともないか。新生活に対する楽しみもある。実際何を維持したいかって、この穏やかな気分だよね。生活自体は変化して欲しいけど、この健やかで晴れやかな気分は続いていって欲しい。やっぱり、また落ち込んじゃうんじゃないかなんて意識してるってことかな。怖がってるのかな。そんなこともないつもりなんだけど。さあ、明日は何する。

2009/01/07

罪悪感

自分にとって大切な友人を、その人がいないところでネタにして...まあそれは自分がその人と仲が良いと思ってるからというのがあってこそなんだけど...それで、僕がヘラヘラ笑ってる時、実はその人は大変な思いをしていたんだということがわかって、妙に嫌な気分になる。そんなふうに罪悪感を持つ意味があるのかどうかわからないけど。というか罪悪感を持つぐらいなら初めからやるな、ということだよね。以前の恋人のことを笑い話にするってのは良いことなのか、悪いことなのか。悪気はないつもりでも。今更ながら、元気になってほしいなあ、と。

2009/01/06

不景気

帰国したら、やれ未曾有の不景気だ何だ、って言ってて、すごく大変なことになってる。街にいても人と話していても大変なんだなあというのはひしひしと感じる。で、ちょっと思ったこと。なんかこんな状況である種不謹慎かもしれないけど、不景気の時って何か連帯感みたいなのが生まれないかい?と。テレビのニュースや新聞は不景気、不景気、って言ってて、皆がその話にどこかしら共感する。あ、私と同じ立場の人がたくさんいる、みたいな。ひょっとしたらそれで安心してるってのもあるのかもしれないけどね。とにかく、今まであまり気にしてなかったのに、やたら経済のことを気にし始めたりとか、なんか他の人と共通のものを持ってるって感じがしてくる。高速道路を走ってて渋滞に突入しそうな時とかに、皆がハザードランプをつけるでしょ。あの時みたいな。ああ、周りは赤の他人と思ってたのに、僕ら共通の場所にいて、共通のコードを持ってたんだね、と。こころがほっこりする。不景気でこころがほっこりするってのもおかしな話だけどね。いや、無職の身としては他の人が自分と同じ立場になるのが嬉しいだけだったりして。だとしたら最悪だな。

語学上達法

語学がおもしろい。旅行が刺激になったのもあるけど、新しい言語を勉強したくてウズウズしてる。アラビア語は以前言語学の授業で触れた程度でそれ程興味はなかったのに、ちょっとかじってみたらおもしろくておもしろくて...。他にもポルトガル語、中国語、ベトナム語、韓国語...ってたくさんたまってるんだよね。まあ、そんなに同時にできる訳ないし、結局諦めることになるんだけど。

で、ちょっと思ったこと。語学が好きって言う人の中でけっこういるのが、「ペラペラ話せるようになりたい」って思ってる人。まあ言いたいことはよくわかる。それが語学を勉強する上での最終目的地だろうし、流暢に話せたら格好いいし、その言語を話す人とコミュニケーションを取る為には必要なことなので。ただ、どうもその言葉を話せるようになるってことばかりを目標にし過ぎてる人がいて、残念に思う。語学は学ぶ過程がものすごく重要だと思うから。

これはあくまで僕にとってだけど、新しい言語を学び始める時って、もう楽しくて楽しくてしょうがない。ええっ、こんな発音できる人達がいるの?これとこれの発音を聞き分けられる人達がいるの?こんな文法項目があるの?こんな種類の形態素があるの?...と、人間の言語の多様性にただただ驚かされる訳だ。逆に、祖語が全然違うのに複数の言語に共通点があって驚かされることもあるけど。チョムスキー流に言えばこれは普遍文法とパラメーターってことかね。まあとにかく、同じ人間なのにこんなに違うもんを使いこなしてるってのが不思議でしょうがない。と同時に、初めは絶対無理、と思ってたのに、数ヶ月後にはちょっとずつ慣れて使えるようになってる自分にもびっくり。だんだん自分の中にその言語の言語体系がつくりあげられてる、ってことだもんね。いや、これもチョムスキー流に言えば普遍文法のパラメーターに刺激を与えてる、ってことか。

えーと、それで何が言いたいかと言うと、こうやって学ぶ過程を言語学的に観察して楽しんでれば、勉強するのもそんなに苦じゃないし、覚える項目一つ一つも印象深くていいんじゃないかなあと。いつか話せるようになることではなく、それを学んでる時の喜びが大切なんじゃないかなあと。で、そうこうしているうちに、当初の目的の話せるようになるってのも実現するんではないかと。まあ、実際中上級者になってくるといつもそんな喜びばかりじゃないし、常に好奇心を持ち続けるってのは難しいだろうけどね。時間がないとか飽きて投げ出しちゃうなんてこともあるし。...これは語学だけじゃなくて勉学何についても言えることか。

あー、なんか読み返してみたらやたらと偉そうだな。まるで自分の勉強法が良いよ、自分は語学得意だよ、なんて言ってるみたいだな。決してそんなことはないんだけど。まあ誰かに向けてっていうよりは、半分以上自分に言い聞かせてることなので。さあ、楽しいと思っているうちにたくさん勉強しようっと。

2009/01/05

生きる力

年が明けてからしばらくだらぁーっと。特に何かしてる訳でもない。いつもなら、わあー、怠けグセが始まった、やるべきことをやらなくちゃ!と思うところだけど、そんなにあせることもない。まあもちろん色々とやり始めるつもりではいるけど、やらなくてはいけないという義務ではない。旅から帰ってきて、やっぱりまだ「生きる力」に溢れてる気がする。今、何もしていなくても、生きていくという気持ちはある。こういう状態、この穏やかさがいつまで続くのか知らないけど。好奇心で溢れてる。漠然としたやる気がある。何かやれる気がする。こういうの、希望っていうのかもね。こういう状態のうちに、何かやろうっと。部屋を片付けるか、まずは。