2008/09/28

ふと思ったこと。

やっぱり不安。前回書いたことに加えて、果たしてこれでよかったんだろうかという気持ちが出てきた。何でだろうね?何でいつもこういうこと思うんだろうね?自分が望んだことに向かって努力して、それを達成したはずなのに、それ自体が疑問に思えてくる。確かに楽しみなことはたくさんあって、これからやろうとしてる勉強だってものすごく興味はあるんだけど、問題はやっぱり将来のことなのよ。その後何するつもりなのかなあって。僕は大学院進学を選んだ。自分の意志で。その後のことを選択するのも自分だ。全ては自分の責任で。つまりはその状況に耐えられるのかっていうのが不安なのかもね。そして結局は、主体性がないということにつきる。自分の意志が固くない。他の人の目を気にしていて、自分の選択に自信が持てない。気にしていないなんて言いながら気にしてる。自意識過剰。慣習やら何やら、あらゆる枠組みに囚われない生き方をしたいなんて言いながら一番それを意識しているのかも。

でも、そうやってつらつら考えていてふと思ったんだけど、僕が何やったって、皆それをけっこう認めてくれるんだよね。良い意味では、周りの人達は自分が思っているよりも自分のことを高評価してくれているみたいで、何やっててもいいじゃん、どんなことだってできるよ、なんていうニュアンスのことを言ってくれる。本心かどうかはわからないし、今までそんなこと思ってもみなかったのでまだつい疑ってしまうんだけど、とにかくそういう人達はいる。だから、僕がどんなことやっても、それを認めてくれる人はいるらしい。

それからもう一つには、別に悪い意味でも何でもなく、僕が何をしていたって他の人は別に気にしないというのもあると思う。他の人の人生なんて、どうなったってそんなに関心は無いよね。別の人間なんだから。これは僕にとってもそうで、自分以外の人がどんな人生を送っていても別に構わない。

ただ、その別に構わないというのに唯一条件を付けるとしたら、その人がその生き方を自分で選んで、それで満足してるなら、ってことだ。例えば僕の大切な人がどんな人生を歩んでいようと、その人が幸せならそれでいい、と結局はそういう気持ちだと思う。それも人を認めているっていうことだと思う。

だとしたら、僕が何を選んでどう生きていようと、それで僕自身が幸せを感じてるんだったら、周りの人にとっては何も言うことはないってことだよね。まあ、単純化し過ぎかもしれないけど、自分の責任で何かをして、それで幸せと思えれば、誰にも迷惑かけないんじゃないか。この幸せさえ持っていれば、何をしていても人は僕を認めてくれるんじゃないか。僕は僕がやることで幸せになっていたいと思う。そうありたい。実際そんなふうに生きられないのはこれまでの経験からも目に見えてるし、こんな気持ちどこまで続くかわからないけど、そう思っていたい。

2008/09/26

どうやら

受験に合格したらしい。自分の見間違いでなければ。

これで来年から晴れて大学院生になる。半年前に立てた目標を果たせたってことだ。それはとっても喜ばしいはず。

そのはずなんだけど、つくづく損な性格をしてると言うか何と言うか。なんとなく手放しで喜べない。

まず、まだ実感が沸かない。合格発表の時に受験番号見ただけじゃ、なんのことかよくわからない。ひょっとしたら間違いじゃないかと今でも思う。

それと、自分なんかが研究やってけるのかという不安がかなりある。受験に合格したからと言って、急に自分に自信がつくとか、情けなさや恥ずかしさが消えるなんてことはない訳だ。当たり前だけど。

それから、合格と不合格が本当に紙一重だったような気がしてならなくて、その偶然の出来事について大喜びするってのに抵抗がある。確かに努力はしたけど、合格したのなんてただ幸運が重なったからのように思える。特に合格発表を見ると、自分の番号があるか、ないか、というだけ。僕の前の受験番号の人は落ちてた。僕だってその立場にいる可能性は大きかったと思う。そうすると、この番号があるか、ないか、ってのがそんなに重要なのかという気になってしまう。それに、不合格だった時の自分を想像して、そいつの手前、なんか喜びきれない、みたいな、そんな気分になる。無駄な考えかもしれないけど。

以前、蝶番がどう回っても、つまり合格しようがしまいがその事実を受け止めて、笑顔で最高!って言いたいなんて言ってた訳だけど、それはできなかったということかな。せっかく合格したのに、「最高!」って言ってないもんね。これからそうやって思えるようになるのかな。自分に「よく頑張った、お疲れさん」なんて言えるのかね。その方がいいんだろうけど。何にしろ、目標達成、受験合格は喜ばしいはずなんだから。

さて、そういうことはおいおい考えていくとして、旅に出ようと思う。これも前から計画していたこと。少し長い旅に出て、何かを考えてもいいし、何も考えなくてもいい。そんな時間を過ごそうと思う。

2008/09/18

気が狂う

一歩手前。
俗に言うミソりの症状がたまに。
情けない、恥ずかしい、思い出し奇声。
「死んでしまいたい!」とかなんとか。
僕の人生からこの気持ちは消えないのかもしれない。
一人でも、酒を飲まずにはいられない。
終わったのに。
全部終わったのにぃ。
やっぱり人生の転機を楽しむだなんて、そんな余裕はない。
転機だからというよりは、自分を試される場がつらい。
明日には全てリフレッシュできるのかしら。
一週間以内には気持ちを切り替えていられるのかしら。
仮に合格したとして、手放しで喜べるのかしら。
この情けなさ、恥ずかしさは消えるのかしら。
はて人間は。

2008/09/11

いってきます

蝶番の時を、その瞬間を、
とくと味わってきます。

どう回ろうが、
笑顔で最高!
って言ってきます。

時よ、止まるな。
お前は美しい。

では、いってきます。

2008/09/10

腱鞘炎に

なりそう。

勉強ってすごいなあ。
努力ってすごいなあ。
エネルギーだなあ。

この先何があろうと
このエネルギーが
決して無駄じゃなかったと
思いたいよ。

2008/09/06

臭いものには

蓋をするってね。
わかんないことには
目をつぶるってのが大切なのよ。
明日こそ、明日こそ。

今日ふと気付いて感動したことは
「タケコプター」は異分析(metanalysis)によって
つくりだされた複合語だってこと。
本当はhelico(旋回する)+pter(翼)なんだってさ。
なのに竹+コプターって!
コプターって何だよ。
まあ、バーガーみたいなもんだね。

さて、一年後はイギリスにいるのかな。
はたまたアイルランドにいるのかな。
いや、国分寺かも。

2008/09/05

ギターの弦

を緩めた。
しばらく弾かない。

新しい知識を入れるより、
今ある材料をどう使うかだね。

ところで、こどもの頃って何故だか、
自分が映画の中にいるような
そんな感覚を持つことがよくあった。
自分は映像を観てるだけで、
その世界に関与はしていないような、
そんな感覚ね。
その頃から主体性がなかったのかな。

意味

論が、難しすぎる。
形式意味論よくわからん。
論理学、数学用語ちんぷんかんぷん。
でも付け焼き刃じゃどうにもならないだろうし、
今から勉強するのもねえ。
そういうのが出たらもうしょうがないぜ。
こっちもちんぷんかんぷんなこと書いてやる!

2008/09/03

もう一度

謙虚になろう。挑戦者だ。

それにしても、ことばの世界っていうのは奥深いね。
もうどんだけ続いて行くんすか。

足るを知ること

はやはり難しい。自分では何も望まないつもりでいても、いざ与えられると喜んでしまう。その喜びは欲求につながる。そして初めは望んですらいなかったのに、与えられないことを残念に思ったり不満に感じたりさえする。結局は状況によって欲望は肥大化していくものなのか。でも、初めから無欲になるというのも、建設的でなくて寂しい。それじゃ何も発生しない。欲求を持ちつつ、それが満たされなかった場合にも納得できることが重要なのか。

2008/09/01

正直ね、

ちょっとしたきっかけで泣き出しちゃうんじゃないかっていうような状態の時がたまにあるんだけど、でもまあ今は、そんなに思い詰めてもしょうがないなあと思ってるのよ。なるようにしかならない。いや、努力はしよう。でも、その後は、ねえ。それに駄目だったとしても、それはそれでまた何かを始めるきっかけになる訳だし。そもそも、一年前を思うと、ここまで頑張れるようになった、っていうだけすごいかなあなんて。別にこれは受験に失敗した時の言い訳を今からしようってんじゃなくて。うん、結果はどうあれ、一ヶ月後に自分に、よく頑張った、お疲れさん、なんて爽やかなこと言えるようになっていたいなあと。そして同時に自分の無能さと努力の足りなさも受け止めたいなあと。