2008/04/25

誕生日おめでとう

私の姪が誕生しました。名は詩子(うたこ)というそうです。

別にその場に立ち会った訳でも何でもないのですが、出産というのはものすごく大変な作業だということを知りました。お母さんはもちろん、周りの人達も赤ちゃんを産む為に一生懸命なんですね。

とにかく、とても喜ばしいことです。そして、自分がこの出来事を喜ばしいと感じられることも非常に嬉しいと思います。と言うのも、一年前の自分だったら、「ああ、また新たな不幸が世の中に産み落とされたのか!」なんて言い兼ねなかったからです。

本当に子供じみた考え方だとは思うのですが、人がどうして生まれてくるかということについて考えると、それは決して自分の意思ではなく、親の「勝手な都合」によるものだという気がしてしまうのです。全ての誕生は親のエゴによるものです。勝手に二人が出会って喜び、欲にかられて子づくりをして喜び、子供を産んで喜ぶ。二人にとってはもう嬉しくてしょうがない訳ですが、子供にとっては何が何やらわかりません。そんなの自己満足じゃないか、という気分です。

ただ最近、ああ、それでいいのかしらとちょっとずつ思ってきたのです。愛する二人が自分たちの子供を産むのはもう最大級の幸せであって、勝手かもしれないけど大満足な訳です。これからの子育ても、苦労はするでしょうが、それだけ喜びもひとしおなんでしょう。両親がいつもそれを感じて生きていければ、彼らにとってそれはもう幸せな生き方です。

そして、親たちは自分の子供という存在が人生の幸せの源だということを、常に感じながら子供に接することができればいいなと思います。別に子供にそのことを無理に意識させる必要はないかもしれませんが、子供も自分の周りの人々が自分のおかげで常に幸せなのだということを感じればきっと嬉しい気分になるでしょう。

よく大人が子供と遊ぶ時は、まず自分自身が楽しむことが大切だなんて言いますが、確かに自分の嬉しさをうまく子供に伝えてやることができたらいいですね。「勝手に君を産んじまって悪かった。でも、君のおかげでもうこっちは最高に幸せなんだよ。いやはや、最高。君、最高。」なんて思えればとてもいいです。

まあとにかく、とても単純なことを言っているようですが、両親が幸せであることによって子供もちょっとは幸せになれるような気がするんです。ですから両親は、たとえ身勝手で自己満足であろうと、遠慮せずに思いっきり満足して、思いっきり幸せになってやればいいんじゃないでしょうか。

さて、そうやって育った子供ですが、「僕は、私は、どうして生まれてきたの?」なんてくだらないことを考える時期がきっとくると思います。(まあそんなこと考えるのは中学生ぐらいのもので、24歳のニートは普通そんなこと考えないかもしれませんが。)そんな時、自分は自分の意志で生まれてきたんじゃなく、親のエゴによって生まれてきたんだ、そんな無価値でくだらない存在なんだ、なんて思ってしまうやつがいるかもしれません。

ただ、別にその事実についてはどんなふうにだって解釈できると思うのです。親の喜びのために生まれてきたのであれば、じゃあやっぱりその当初の誕生の目的に沿って、両親を満足させていきたい、それが自分の生きる意味だ、喜びだ、と思えばそうすればいいです。私が誕生してきたことで、両親やその他の人達にものすごい喜びを与えたんだわ、それだけで私が生まれた意味があるわ、なんて感動してもいいです。もしくは、誕生してきた時点で既にものすごい喜びを与えてやったわけで、自分の任務はこれで完了だ、後は自由にやらせてもらうぜ、なんていうふうに生きて行くのもいいと思います。

またもや最後がまとまらなくて訳がわからなくなってきましたが、とにかく、生まれてくるってのは、たいした意味がないようであって、やっぱりそれなりの意味があるなあと思ったのです。そうすると、今日この日、私の姪っ子の本当の意味での誕生日は、非常におめでたいなと感じます。そして勝手ですが、当事者の詩子ちゃん自身にもおめでとう、感動をありがとうと伝えておきます。

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