私の姪が誕生しました。名は詩子(うたこ)というそうです。
別にその場に立ち会った訳でも何でもないのですが、出産というのはものすごく大変な作業だということを知りました。お母さんはもちろん、周りの人達も赤ちゃんを産む為に一生懸命なんですね。
とにかく、とても喜ばしいことです。そして、自分がこの出来事を喜ばしいと感じられることも非常に嬉しいと思います。と言うのも、一年前の自分だったら、「ああ、また新たな不幸が世の中に産み落とされたのか!」なんて言い兼ねなかったからです。
本当に子供じみた考え方だとは思うのですが、人がどうして生まれてくるかということについて考えると、それは決して自分の意思ではなく、親の「勝手な都合」によるものだという気がしてしまうのです。全ての誕生は親のエゴによるものです。勝手に二人が出会って喜び、欲にかられて子づくりをして喜び、子供を産んで喜ぶ。二人にとってはもう嬉しくてしょうがない訳ですが、子供にとっては何が何やらわかりません。そんなの自己満足じゃないか、という気分です。
ただ最近、ああ、それでいいのかしらとちょっとずつ思ってきたのです。愛する二人が自分たちの子供を産むのはもう最大級の幸せであって、勝手かもしれないけど大満足な訳です。これからの子育ても、苦労はするでしょうが、それだけ喜びもひとしおなんでしょう。両親がいつもそれを感じて生きていければ、彼らにとってそれはもう幸せな生き方です。
そして、親たちは自分の子供という存在が人生の幸せの源だということを、常に感じながら子供に接することができればいいなと思います。別に子供にそのことを無理に意識させる必要はないかもしれませんが、子供も自分の周りの人々が自分のおかげで常に幸せなのだということを感じればきっと嬉しい気分になるでしょう。
よく大人が子供と遊ぶ時は、まず自分自身が楽しむことが大切だなんて言いますが、確かに自分の嬉しさをうまく子供に伝えてやることができたらいいですね。「勝手に君を産んじまって悪かった。でも、君のおかげでもうこっちは最高に幸せなんだよ。いやはや、最高。君、最高。」なんて思えればとてもいいです。
まあとにかく、とても単純なことを言っているようですが、両親が幸せであることによって子供もちょっとは幸せになれるような気がするんです。ですから両親は、たとえ身勝手で自己満足であろうと、遠慮せずに思いっきり満足して、思いっきり幸せになってやればいいんじゃないでしょうか。
さて、そうやって育った子供ですが、「僕は、私は、どうして生まれてきたの?」なんてくだらないことを考える時期がきっとくると思います。(まあそんなこと考えるのは中学生ぐらいのもので、24歳のニートは普通そんなこと考えないかもしれませんが。)そんな時、自分は自分の意志で生まれてきたんじゃなく、親のエゴによって生まれてきたんだ、そんな無価値でくだらない存在なんだ、なんて思ってしまうやつがいるかもしれません。
ただ、別にその事実についてはどんなふうにだって解釈できると思うのです。親の喜びのために生まれてきたのであれば、じゃあやっぱりその当初の誕生の目的に沿って、両親を満足させていきたい、それが自分の生きる意味だ、喜びだ、と思えばそうすればいいです。私が誕生してきたことで、両親やその他の人達にものすごい喜びを与えたんだわ、それだけで私が生まれた意味があるわ、なんて感動してもいいです。もしくは、誕生してきた時点で既にものすごい喜びを与えてやったわけで、自分の任務はこれで完了だ、後は自由にやらせてもらうぜ、なんていうふうに生きて行くのもいいと思います。
またもや最後がまとまらなくて訳がわからなくなってきましたが、とにかく、生まれてくるってのは、たいした意味がないようであって、やっぱりそれなりの意味があるなあと思ったのです。そうすると、今日この日、私の姪っ子の本当の意味での誕生日は、非常におめでたいなと感じます。そして勝手ですが、当事者の詩子ちゃん自身にもおめでとう、感動をありがとうと伝えておきます。
2008/04/25
誕生日おめでとう
2008/04/22
2008/04/18
2008/04/17
恋するインポテンツ
最近やけに爽やかな内容ばかりだったので、ここらでまた「虚無の境地」の理念(無意味で無価値な戯れ言ではあるが、人間について深く考えようとした結果出てきた自分にとってはある種愛らしい戯言を記していくこと)に沿った話をしたいと思います。かなり下品と言えば下品な話題なのですが、このブログを覗いてくれている知人はほとんどそんなの気にしない人ばかりだと思いますし、たまに検索サイトからやってきてくれる人達は、そういう類の検索ワードを基にやってくる訳なので、これまた気にしないはずでしょう。
さて、実を言うと私は、慢性的EDなのです。いえ、別に医者からそう診断された訳ではないのですが、時々本気でそうなんじゃないかと思うことがあるのです。そして近頃その周期に入っているようなので、性的興奮というものを覚えることがありません。自分でかなり意識的に処理をしようと思わない限りその機会がなく、下手をすればひと月以上放置した挙げ句ウェット・ドリームとなってしまうのです。
果たしてこの原因は何でしょうか。ある調査では鬱病患者の約半数がEDを併発すると言われているそうですが、私の場合は鬱病になる前からその兆候があったような気がするので、病気が原因なのかどうかは定かではありません。おそらく加齢、外傷、糖尿病や高血圧症等の症状によるものではなく、心因性であることは間違いないと思っているのですが、はっきりしたことはわかりません。
正直に言うと、中学から高校一年ぐらいまではセックスのことばかり考えていた気がします。頭の中はとろけそうなぐらいにエロエロでした。もちろん本能的にということもありますし、理性的にも非常に興味があったのです。この欲望、この性行為によって自分がどこに行き着くのか、ということを常に考えていました。そしてそれが日々の主な悩みの一つでもありました。
ただいつからか、その問いから解放されたように感じるようになりました。と言うよりも、すっかり性への興味が失われてしまって、頭の中から消えてしまっているのです。そしてふと何かのきっかけでそのことを思い出し、びっくりするのです。以前の自分のあの大きな関心はどこへ行ってしまったのかと不思議に思うのです。
さてそこで少し考えてみると、不確かではありますが、二つ程その原因が挙げられるように思います。
まず一つ目に、私は女性に恋をしている時にはインポテンツになる気がします。本当に恋をしている時(まあこんな感覚を知ったのは割と最近になってからですが)、自然と性への関心が薄れていきます。別にプラトニック・ラブが崇高なものだと言うつもりは全くないのですが、本当に人を好きになるとその想いによって性欲がかき消されてしまうように思うのです。じゃあ、いわゆる'付き合って'いた恋人は本当に好きではなかったのかと言われると答えに窮するのですが、でも年月を経て「好き方」が変わるような気もしていて、肉体関係を持った恋人にも同じようなプラトニック・ラブを抱えていたことはあると思うのです。
私にとっての好きな人というのはしばしば憧れの対象であって、その女性に対して、またその女性の存在を前にして性欲を持つことは、その人を冒涜しているように感じてしまうのかもしれません。憧れの人をいつまでも、ある種神聖なものとしておきたいのかもしれません。別にその女性がすごく強い性欲を持っているだとか、もしくはその女性が誰かしらと性行為をしたという事実を知ったしても、何も感じないでしょうし、イメージが崩れるなんてこともないと思うのですが、私自身がそういう類の気持ちを持つことがどうしてもできないのです。
それから、最近気付いたことには、そうやって恋する人に対して性欲を持つのに抵抗がある反面、その人以外の人間に対して性欲を持つなど絶対にしたくないという気持ちもあるのです。私は普段、誰かが社会一般で言う浮気というものをしていたとしても全く責める気持ちにはならないですし、そういうことに関する問題意識が低い方だと思っているのですが、自分自身は心の中で恋する人だけを想うことでその人に対して忠実でありたいと思っているのかもしれません。随分勝手な話ですし、くだらないことではあるのですが。まあとにかく、こういう気持ちからなのか、あらゆる性欲が押さえられているように思います。
次に、EDの原因の二つ目に触れようと思います。これは実は一つ目のものと大した違いはありません。それは同じく「恋」なのですが、先程はたまたま私にとっての大きな気持ちの対象として女性を挙げただけで、その対象は女性だけではないと思うのです。まあ当然男性も対象であると言える訳ですが、それよりももっと広く、様々な物事が恋の対象になり得ます。
それは勉強だとか映画だとか音楽だとかスポーツだとか何でもいいのですが、突然恋をしたように何かに夢中になるということがあると思います。もちろん人生常にそういった時ばかりではないのですが(と言うよりそんな時はごく稀なのかもしれませんが)、毎日好奇心のような不思議なエネルギーで溢れているような時期があると思うのです。何か夢中になっていることだけで日々忙しくてしょうがないような時です。そんな時、はっきり言って性欲なんて無価値です。頭の中の一ミリも入り込んでくる余地がありません。
まあ、その夢中になる対象がたまたまセックスであれば、性欲が際限なく溢れ出てくるなんてこともあるのかもしれませんし、以前の自分はきっとそれに近い状態にあったのでしょう。ただ、現在では性行為に対してそういった強い魅力を感じることはほとんどありません。ひょっとすると今後またそういった時期が来るのかもしれませんし、そうだとすればぜひ体験してみたいとは思いますが、他の何かに夢中になっている限り、それはないでしょう。
以上が、私が考え得るEDの原因です。ただこのように理屈っぽく語ってみても、実際にこういった内容を考えた上で性欲を意識的に押さえている訳ではなくて、本当に自然に性欲をなくしているような状態なのです。したがって、果たして上に書いたようなことが本当にその原因なのかどうか、定かではありません。いったいこれは何なのでしょうか。これも心因性勃起不全と呼ぶのでしょうか。
ただ一つ言えることは、普段そのことについて忘れてしまっているため、自分の中でEDであるという意識はそれ程なく、特に悩んでもいないということです。ヘミングウェイの『日はまた昇る』は何度か読みましたが、ジェイクにある種の共感を覚えながらも、あのように戦傷を引きずる暗いインポというより、自分は今を生きる明るいインポなんじゃないかとふと思うのです。
だんだんまとまらなくなってきましたが、無理にまとめます。とにかく、今ものすごく好きな人がいるんです。また勉強も、音楽も、旅も、その他もろもろのこともやっぱり好きなんです(おそらく)。そして、それらの目標に向かっている自分さえも好きになれそうな気がするんです(きっと)。つまり、私は恋するインポなのです!
2008/04/14
初めてピアノに触れるような
子供の頃にピアノを習っていた先生に突然電話して、また弾きたいと思っていると伝えた。するとさっそく今週末からレッスンをしてくれることになった。
もう10年以上振りだったはずなんだけど、僕のことをよく覚えていてくれた。色々懐かしい話をして、僕が連絡したことをとても喜んでくれた。それでこっちもとても嬉しい気持ちになった。当然だけど先生は子供の頃の僕しか知らない訳で、自然とその僕のイメージを持って会話をしているんだけど、逆に僕自身はその頃の自分がどうだったかなんてあまり記憶になく、それがちょっと新鮮に思えた。また、今回話をしながら大人になった今の自分を見せているというのもなんだか不思議に感じた。
あとその会話の中で「よくベートーヴェンの本とか読んでたよね」と言われた。ああ、確かにピアノの練習は全然しないくせに、世界の音楽家の生涯を描いた漫画やら本やらを毎週借りて読んでたなあ。あの頃から偉人伝読んだり、人の人生について知ったりするのが好きだったのか。まあ、読めれば何でも良かったような気もするが。
とにかく、僕はまたピアノを始める。『バンドをやってる友達』にある「初めてギターに触れるような」、「もう一度何かやれるような不思議な気分」ってのはまだ続いている。ピアノに触れよう。ピアノを弾こう。ピアノを感じよう。
2008/04/13
あれから一年
今日はなんだか良い日だった。別に特別何があったという訳でもないんだけど。春の香りの中、色々なことをやろうとしている自分に満足がいったのかも。ところで、旅行に行っていてすっかり忘れていたけど、あの鬱病、パニック障害、失声症などの発症やら一週間での退職やらからもう一年が経ったことになる。一年。あの時は自分がまたこんな日々を送れるようになるだなんて想像すらできなかったなあ。本当に、こんな爽やかな日を迎えられるだなんて。いやいや、まだまだゴールじゃないけどね。色々掲げた目標があるんだから。それが全部終わった時に、もう一度こうやって過去を振り返ってみよう。いつかそんな日がきっと来るはず。
2008/04/10
自由の国へ
一週間程行ってきた。
アメリカと言ってもハワイだけど。こってこてのリゾート地で、行くのが若干恥ずかしいとまで思ってたんだけど、なんだかんだ楽しんでしまった。
色々やった中で、ハワイ旅行のハイライトを挙げるとすれば、
パラセイリング。モーターボートにつながれて、海の上をパラシュートで飛ぶやつ。上空200メートルぐらいから眺めるハワイの景色はやっぱり最高だったね。
ポイ。伝統的なハワイヤン料理の一つで、タロイモをすってペースト状にしたもの。ハワイ原住民の主食らしいんだけど、すっぱい飲むヨーグルトみたいな感じで、けっこう強烈な味。たいていのものは好奇心とともにおいしく頂くんだけど、これはくどくて完食するのが大変だった。でも、かなり印象的でもう一回食べたい。
ウクレレ。いくつかお店を回って体験レッスンを受けてみたら、どうしても欲しくなって買っちゃった。しかも、色々試し弾きしてるうちに、やっぱりいい音がするやつがいいなあ、なんてどんどん値の高いやつに手が伸びて、結局カード決済。今月と来月は死ぬ気で働かなくちゃ。そしていっぱい練習しよ。
と、他にも色々と楽しめて盛りだくさんな旅だった。
ただ、こんなふうに楽しんでおいてなんだけど、二度は行かない気がするなあ、ハワイ。やっぱりハワイはハワイで、それ以下でもなければ、それ以上でもなかった。とてもいいところなんだけど、あんな明るいリゾート地は僕には合ってない気がする。いるのがなんか照れる。それに、雰囲気が平和過ぎる。毎日ゆるゆるの生活で、あんなところに長居してたらボケちまいそうだ。そもそもあんなのアメリカじゃない。入国審査官が笑顔とともに日本語で話してきてくれるんだから。前に本土に行った時は、ずっとキレてるおばちゃんといかついにいちゃんしかいなかったぞ。やっぱりアメリカのイメージはあれだよね。いや、ハワイの人達の平和さは大好きだけどさ。
まあ、こんなにリラックスした旅はおそらく初めてだったので、そういう意味ではとても良かった。明日からまた忙しい日々が始まるので、これをエネルギーにして頑張っていこう。うん、働こう。勉強しよう。生きていこう。
